クアトロ・ミニマル メキシコ・ツアー・レポート 取材・文●長屋美保

富山県南砺市で24年続くワールドミュージック・フェスティバル《スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド》から生まれたクアトロ・ミニマル Cuatro Minimal は、鹿児島出身の親指ピアノ奏者サカキ・マンゴーさんをふくむ日本、韓国、メキシコのミュージシャン4人から成るグループだ。その初のメキシコ・ツアーの模様を、現地在住の長屋さんに3回に渡ってレポートしていただく。[アーティスト写真撮影:Mónica García Rojas]

PROFILE

長屋美保

フリーライター

静岡県生まれのフリーライター。2007年よりメキシコへ渡り、2008年にメキシコ国立自治大学(UNAM)付属スペイン語学校を修了。日本の雑誌やムック、web、ラジオ、CD解説、日本公開のラテンアメリカ映画のパンフレットなどでラテンアメリカ文化を紹介する。2009年より情報サイトAll Aboutのメキシコガイドを務める。 ウェブサイト http://mihonagaya.blog2.fc2.com/ ツィッター @mihonagaya

メキシコの中学生とのワークショップ

 第1回はメンバーのサカキマンゴーさん(親指ピアノ、ゴッタン、ヴォーカル)と、チャン・ジェヒョさん(韓国伝統打楽器、ヴォーカル)がメキシコの中学生に向けて行った音楽ワークショップのもようを中心に紹介する。メキシコの闇を打ち破る民衆の叫びが路上に響き渡るなかで始まったクアトロ・ミニマルの旅は、いったいどんな道を辿るのだろうか。   アヨツィナパの事件とメキシコの日常    2014年9月26日、メキシコのゲレロ州アヨツィナパ教員養成学校の学生たちがメキシコシティで行われる教育改革法反対のデモに参加するため、バスで同州のイグアラ市にさしかかったところを襲撃される事件が起こった。6名が死亡し、43名が行方不明となったこの事件だが、学生たちは警察に虐殺された可能性が高いため、世界中にこのニュースが広まった(同州知事やイグアラ市長が麻薬組織と深い繋がりにあり、ゲレロ州の地方警察が殺害を認めた。さらに、2014年12月9日行方不明中の学生のひとりの遺体が発見された)。    メキシコ政府による反体制者に対する粛清は、アヨツィナパの学生だけではなく、歴史上幾度も繰り返されている。ここは警察も金で買える国であり、「El país de no pasa nada(何が起こっても大丈夫な国)」といわれ続け、大虐殺も闇に葬られてきた。しかし、政府がアヨツィナパの事件をまた闇に葬ろうとしたことによって、遂に民衆の我慢も限界に達した。現在、メキシコ各地で毎日のようにデモが繰り返されている。そして、デモでは警察の暴力により逮捕される人たちが続出する。はたから見たら、とんでもない国だと思われることだろう。    私は首都メキシコシティに暮らして8年目だが、家族も含めて日本に住む人たちには、メキシコは怖い国だから、さぞかし怯えながら暮らしていると思われているようだ。いや、いや、とんでもない。こんな鬱屈した状況でも、不平不満をぶちまけるためにデモに参加するし、メキシコ人である夫の家族たちとパーティでクンビアを踊りまくるし、路上ではミシュランお墨付きレストランよりも遥かに旨いであろう、気合いの入ったタコスを喰らい、仲間と屈託なく話し、たまに深酒することもある。この短い人生を、不安や恐怖を抱え込んだまま生きるのではなく、今をどうやって面白く、堂々と生きるかという心意気になれたのも、周りのメキシコの人々が教えてくれたことだ。     https://www.youtube.com/watch?v=9POGEVPONos   ▶ゲレロ州アヨツィナパの教員養成学校の学生43人が行方不明になった件を受けて、メキシコの民衆が学生やその家族たちへの連帯と政府への抗議を示した(メキシコシティ2014年10月8日・11月20日・12月1日、筆者撮影)      アヨツィナパの学生たちが行方不明になってから1ヶ月が経った10月下旬、「クアトロ・ミニマル」(2014年11月に「クアトロ・スキヤキ・ミニマル」からグループ名を変更)のメンバーのサカキマンゴー氏とチャン・ジェヒョ氏がメキシコへツアーのためにやってきたのだった。クアトロ・ミニマルとは、富山県南砺市で24年続くワールドミュージック・フェスティバル、スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールドが行う、日本と海外のアーティストが数週間富山に滞在して交流し、新しい音楽プロジェクトを築くというレジデンス・プロジェクトにより誕生したグループ。メンバーは4人で、親指ピアノ奏者の鹿児島出身のマンゴーさん、韓国伝統打楽器奏者であるソウル出身のチャンさん、前衛音楽界で活躍するヴォイス・パフォーマーのフアン・パブロ・ビジャと、ギタリストのフェルナンド・ビゲラスのメキシコシティ出身の2人のアーティストで構成される。2011年のスキヤキ・ミーツ・ザ・ワールドに出演後、日本と韓国でもツアーを行った。    そんなクアトロ・ミニマルが2014年10月25日〜11月10日まで初のメキシコ・ツアーを行い、小中学生や成人向けの音楽ワークショップや、アルバム・レコーディングもすることになり、スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールドのプロデューサーのニコラ・リバレさんから、現地に住む私にそのレポートを書かないかという依頼がきた。フアン・パブロとフェルナンドのライヴはメキシコで観たことがあるが、マンゴーさんやチャンさんについては名前ぐらいしか知らなかった。また彼らの追求する音楽については、アフリカの親指ピアノや、韓国のサムルノリを、ノンサッチから出ている世界の民族音楽シリーズCDで聴いているくらいの知識である。どういうグループなのか見当がつかないうえに、スケジュールもかなりギリギリに決まったし(メキシコではよくあることだが)、準備もできていないが大丈夫なのか、と不安を感じながらも取材を始めることとなった。     Nagaya_2     中学生と打楽器でセッション    コンサート・ツアー開始前の10月27日、マンゴー氏とチャン氏のワークショップがメキシコシティの私立小中学校であるビジャ・エドゥカティバで行われた。フアン・パブロはこの学校で音楽教師を務め、彼の授業のなかの一環のワークショップとして今回マンゴーさんとチャンさんが招かれていた。   OLYMPUS DIGITAL CAMERA ▶中学生とのワークショップを進めるサカキ・マンゴーさん(筆者撮影)      中学生たちが30人ほどいる音楽室では、マンゴーさんが大正時代から鹿児島に伝わる民謡〈茶わんむしの歌〉を題材に授業を進める。  「茶碗についたむっちゃろかい」(茶碗についた虫だろうか)とマンゴーさんが歌えば、メキシコの中学生たちもそれに習って上手に歌う。  マンゴーさんは、鹿児島弁について説明したり、間の手や、もみ手についても説明し、爽やかに笑いをとっているのだが、その授業はすべて英語で行われている。フアン・パブロのスペイン語訳が合間に入るものの、生徒たちはみな流暢な英語を話すのでたじろぐ(ちなみに、メキシコは米国の隣国だが、米国国境やカンクンなどのリゾート地以外では英語はほとんど通じない)。そんな様子からも、ここは経済的に余裕のある家庭の子どもが通う学校なのだろうなというのがわかる。    しばらく楽しそうに授業のビデオを撮っていたチャンさんが、授業の後半に、韓国の打楽器の起源などを説明してチャンゴ(杖鼓)の実演を始めた。チャンさんが髪を振り乱し、手を神業のように素早く動かしながら、凄みのある音を打つ。私も生徒たちもチャンゴの生演奏を聴くのは初体験であり、一緒になって「すげえ!」と唸ってしまった。   OLYMPUS DIGITAL CAMERA ▶韓国の打楽器チャンゴを実演するチャン・ジェヒョさん(筆者撮影)      そしてマンゴーさんも親指ビアノを数種類取り出し、リンバ、ンビラといった地域によっての名称の違いを説明する。その、ふわ〜んと素朴なつま弾きの音が響くと、空間が清々しく変わるかのように個性のある音だ。  授業の終わりにはパーカッションのセッションを行う。マンゴーさんとチャンさんに加え、生徒たちがカホン、コンガ、ジャンベ、シンバル、タンバリンを扱うパーカッションチームと、そうでないチームに別れ、パーカッションを持っていないチームは、体中をパーカッションに見立てて、足踏みや手拍子、身体を叩くなどして、ダンスのように参加する。フアン・パブロが指揮をとり、皆でセッションして大盛り上がりとなった。こんな楽しい音楽の授業を中学校時代に受けたかったものである。    マンゴーさんもチャンさんも今回の授業を楽しんだようだ。 「あの学校の教育方針なのか、ファン・パブロの教育方法の賜物かもしれないのですが、生徒たちがとても純粋ですね。韓国の中学生の多くは進学に一生懸命なので、音楽を楽しむ余裕がない気がする」(チャン) 「子どもたちの反応がダイレクトですよね。日本の中学生の多くは自我が芽生えて、興味のあることを素直に楽しんでいる姿を他の人に見せたくないという態度を取るから、ワークショップをやるのは苦手だったんだけど、今日の子どもたちはとても素直に面白がって、ちゃんと要点をつかんで、音楽を学べる力もある。鹿児島弁の説明をしたときにも、すんなり理解してくれて、“私たちの国にもいろいろな言葉があるよね[筆者注:インドに次ぎ、世界で2番目に先住民人口の多い国メキシコでは、公用語はスペイン語だが、現在も62の先住民族と言語が存在する]”と言っていてナイスと思った」(マンゴー)    中学生クラスの後は、小学生クラスでも、同様の内容でワークショップを行った。フアン・パブロが神妙な顔をして、私たちに「このクラスでの写真撮影は厳禁。ここはメキシコということを忘れないで」と告げた。  授業後、学内のカフェテリアで食事休憩しているときに、子どもの写真を撮ってはいけないというのが、誘拐を避けるためだという理由を知ったチャンさんが「そんなに誘拐が多いということは、この国には貧富の差がすごくあるということですよね」と本質をついてきた。    海外からメキシコへやってくる人たちには、極力この土地の負のイメージを植え付けたくないなと思っていたが、出てくる話題は自然とアヨツィナパの43人の学生行方不明事件のことになる。すでに、日本や韓国にもニュースで報じられていて、二人も知っていた。 「あれは国というか政府が悪いんです。抗争がある場所に暴力があるけれど、ほんとうは世界のどこの場所とも変わらず、ふつうに生活している人たちのほうが、メキシコには圧倒的に多いんですよ」というのが精一杯だった。その流れで日本や韓国の問題の話にもなる。こちらに住む日本人コミュニティでは政治の話はタブーなので、初めて会う人たちと、そんな話が少しでもできたのをありがたく思った。メキシコだけでなく、同じような問題が世界の色んな場所で起こっているのを感じた。    次回はメキシコでのクアトロ・ミニマルのレコーディングとライヴの様子をレポートする。(つづく)

喧噪のなかでのレコーディングとコンサート

 クアトロ・ミニマルの連載第2回は、2014年11月に行われたラディオUNAM(ウナム)[メキシコ国立自治大学(UNAM)の付属施設]でのレコーディング、そして、同じくUNAMの付属文化センター、カーサ・デル・ラゴでのコンサートの模様をお伝えする。  政府への抗議のために、UNAMのほぼすべてのキャンパスと、関連施設が総ストライキに入った。取材当日のラディオUNAMも閉鎖されるなか、クアトロ・ミニマルは、メキシコの混乱を正視しながらも、音楽をつづけている。   ストライキ中のラジオ局でレコーディング   死者の日1 ▶死者の日の時期にだけ売られるガイコツの砂糖菓子    11月になり、メキシコは「死者の日」を迎えた。「死者の日」は、毎年10月31日~11月2日に開催され、町じゅうがカラフルな切り紙の旗、派手な祭壇、陽気なガイコツ人形や、オレンジのマリーゴールドの花で彩られる。故人や先祖が現世に戻ってくる、日本のお盆に似ているが、しんみりとはしていなくて、せっかくだからあの世にいる者もこの世にいる者も一緒に楽しく過ごそうという行事だ。先住民の風習と、スペイン侵略後のカトリック信仰が混合された独特な祭礼であり、2003年にユネスコの無形文化遺産に登録された。  そんななか、スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールドのプロデューサーであるニコラ・リバレさんと、スタッフの竹田千亜希さんが、クアトロ・ミニマルのメンバーであるマンゴーさんとチャンさんから5日ほど遅れてメキシコへ到着した。  クアトロ・ミニマルがCDアルバムのレコーディング作業を始めているというので、11月4日に、今回のスタジオとなるラジオ局のラディオUNAM(ウナム)を訪れた。同局は、メキシコ国立自治大学(UNAM)の付属施設である。UNAMはラテンアメリカ最高峰の教育を、メキシコ国民にはほぼ無償に近い額(1セメスターの学費は50センタボ=約4円)で提供する大学だ。メキシコの格差社会を高水準の教育によって解消することを目指し、国内の人権・社会運動とも強い繋がりをもつ。広大な中央キャンパスは溶岩地帯だった場所に1954年に建てられ、40の学部関連施設に自然保護区と壁画などの文化財がバランスよく組み込まれていることから、2007年に世界文化遺産に登録された。どうやら、フアン・パブロとフェルナンドはUNAMと深い関わりがあり、このラジオ局のエンジニアとも強い絆があるようで、今回は特別に公開収録用コンサートホールを録音スタジオとして使用することになったらしい。   radio_unam ▶ラディオUNAMの外観    千亜希さんが、「このラジオ局がストライキで閉鎖される可能性があったので、レコーディングが中止になるかもしれなかったんです」という。9月26日にアヨツィナパの43人の学生たちが行方不明となり、警察に虐殺された疑いがあるにも関わらず、政府の対応が遅れていることに怒った学生や職員たちが、全国のUNAMのほとんどのキャンパスや関連施設で、ここ数日大規模なストライキを起こしていたのだ。同大学の施設であるラディオUNAMも、表向きは正面玄関を閉めてストライキに参加していたので、クアトロ・ミニマルのメンバーやスタッフは裏口から入ってレコーディング作業を進めていたそうだ。そんななかで集中を強いられるレコーディングを取材するのは憚(はばか)られたが、メンバーが演奏しているホール内で見学させてもらうことになった。   recording_zentai ▶公開収録用ホールでの録音風景     クアトロ・ミニマルのレコーディング    フアン・パブロの前にはホースやおもちゃみたいな道具や、サンプラーが並び、それらが楽器として新たな命を吹き込まれて不思議な音を出している。また、彼はとても美しい高音から、ホーミーのような倍音や地響きのような低音まで、変幻自在に声を操る。  マンゴーさんは親指ピアノでアフリカ音楽を演奏する人だと勝手に思い込んでいたので、鹿児島弁でフォーキーに歌いはじめたのが新鮮だった。さらに、鹿児島の弦楽器といわれるゴッタンをロック・ミュージシャンのように弾いていた。三味線に似て非なる、初めて見る楽器だ。   mango ▶録音中のマンゴーさん。納得いくまで話し合う姿が印象的だった    フェルナンドはギターだけでなく、いろいろな弦楽器を扱っていて、弦にやすりを擦り付けたりしている。彼はふだんの仏頂面から想像できないほど、繊細かつカッコいい演奏をするのだ。その指の速い動きに目を見張る。  チャンさんはずっと静かで、演奏していないときにはどこにいるかわからないほどだが、いったんチャンゴを叩き始めるとエネルギーの塊と化した。「彼は省エネなんです。ふだんはエネルギーを溜めていて、演奏のときにパワーを発揮するんですよ」という千亜希さんの言葉が、とても納得できた。   fernand_chan ▶左から、チャンさん(チャンゴ)とフェルナンド(ギター)    フアン・パブロは、今回のレコーディングのコーディネイトをすべておこない、全体的な進行を担っているようだった。マンゴーさんは、音の微調整についてエンジニアに意見を伝えている。  エンジニアのアシスタントの青年は「みんな細部にこだわって、完璧にやろうとする。ほとんどのメキシコのアーティストはここまでこだわらない。いろんな音をとりいれていて、すごく面白いよ」と語った。  その様子からは、良い作品ができあがりつつある手応えが、部外者の私にも伝わってきた。   カーサ・デル・ラゴでのコンサート   live_kaijou ▶カーサ・デル・ラゴの野外ステージ    レコーディングから2日後の11月6日。メキシコ・シティのチャプルテペック森林公園の湖のほとりにあるUNAM付属文化センター、カーサ・デル・ラゴでのコンサートが開催された。  会場へ向かう路線バスを降りると、ちょうどギターを背負ったフェルナンドと遭遇した。突然、道の前方に煙が立ちこめ、視界を遮ったので、私も彼も「もうたくさんだよ」とほぼ同時につぶやいていた。というのも、この前日に、UNAMの中央キャンパス前を走る路線バスに、覆面をした集団が火炎瓶を投げ、バスが全焼する騒ぎがあったので、それを連想してしまったのだ。幸い、煙の元は砂埃だったのだが、「また誰かがバスを燃やしてるのかと思ったよ」とフェルナンドがいう。メキシコ警察はバス全焼事件を反体制の活動家や、学生たちが引き起こしたと発表していたが、その騒ぎをきっかけに、ふだん警察が介入することが許されない自治区であるUNAM内に500人の機動隊が入ったのだった。なんだか、体制側がUNAMの大規模なストライキを封じ込めるために仕組んだ炎上騒ぎのように見えた。  街はデモで騒々しいが、この森の中の会場は、まるで同じ街とは思えないほど平穏だった。樹々に囲まれた野外ステージではリハーサルが始まり、その音出しからして、すごく広がりのある響き。これは、今日のコンサートが期待できそうだ。   OLYMPUS DIGITAL CAMERA ▶カーサ・デル・ラゴのステージ。マンゴーさんのゴッタンが炸裂    夜の帳(とばり)が降りるころ、人々が会場に続々と集まってきた。客席には300人近くいるのではないだろうか。コンサートは入場無料でおこなわれた。UNAMやメキシコ文化庁主催のイヴェントなどは無料で一般公開されることが多く、この国は文化面でとても恵まれている。  チャンさんがチャンゴを前に立つ姿をスポットライトが神々しく照らし出し、コンサートは始まった。彼は、韓国の伝承歌である〈Gang sang Poong Wal〉(カンサンプンウォル)を高らかに歌い始める。つづいて披露された、手拍子を使った導入部と、4人の声のハーモニーが美しい新曲の〈Hope “Nine”〉では、多彩なリズムの万華鏡に心を奪われた。切ないメロディにのせて、マンゴーさんが鹿児島弁で歌う〈Small〉が、親指ピアノの調べとともに、心に沁み入ってくる。  新曲の〈La Cola de Dragon(龍のしっぽ)〉は、なんとアヨツィナパの43人の学生たちへ向けた曲であり、観客からも、その連帯の姿勢に歓声があがる。立ち上るような怒りを超え、強い力を与えてくれる曲だ。倍音と、チャンさんの麗しい声が響く〈Arirang-Yo Ya Me Voy〉は、韓国の民謡である〈アリラン〉と、メキシコ北部のドゥランゴ州、コアゥイラ州に伝わる絶滅の危機にあるアカペラ歌唱、カント・カルデチェの伝承歌〈Yo ya me voy a morir a los deciertos(私は砂漠で死ぬ)〉のカヴァーの融合だ。そこに、フアン・パブロの奏でるホースの響き(ホースとは思えない衝撃的なサウンド)が被る。   OLYMPUS DIGITAL CAMERA ▶カーサ・デル・ラゴのステージ。4人の演奏が織りなす濃密な空間    マンゴーさんは、今回のコンサートで親指ピアノよりも、ゴッタンを弾きまくっていたが、その響きは鹿児島の楽器という枠を飛び出し、普遍性のあるブルース感覚を漂わせていた。とにかく、彼らの演奏する曲すべてに、古来から脈々と息づくルーツへの敬意を表明しつつも自由で寛容で、心を奪う音が刻み込まれていた。韓国の伝統音楽、日本の民謡、アフリカ音楽、メキシコの先住民言語、実験音楽の要素が入っているのはもちろんだが、曲によってはプログレ、ブラジル音楽、出所不明の伝承歌のようにも聞こえてくる。つまりは、国なんていう概念は本当につまらんものだよということを示しているような気がした。そこにあるのは、想像を遥かに越えた素晴らしい世界だったのだ。観客たちも、彼らが築いた世界に大興奮しているのがわかる。演奏が終了しても、アンコールの声が鳴り止まない。  そして、アンコールで演奏されたメキシコのミチョアカン州を拠点にする先住民族プレペチャの伝承歌〈Malva Rosura(バラ色のマルバの花)〉のカヴァーは、メンバー4人の優しい力を感じさせるアカペラだった。  演奏終了後には、2011年のツアー時にライヴ・レコーディングした曲を収録したCDアルバムをメキシコだけで特別販売した。クアトロ・ミニマルのメンバーたちと記念撮影をする人たちや、CDを購入してサインを求める人々があとを絶たなかった。(写真はすべて筆者撮影、つづく)

どれだけの血が滴ればいいのか?

 クアトロ・ミニマル、初のメキシコ・ツアー・レポートの最終回は、メキシコを揺るがすほどの政府への民衆の抗議活動が連日続いたなか、無事ツアーを終えたクアトロ・ミニマルのメンバーへのインタビューを中心にお届けする。
Cuánto más la sangre al cántaro gotea Y nos revienta la cabeza en mil pedazos De cuatro en tres De tres en cuatro Cuánto más resistir  tu ausencia Antes de reventar cabezas en pedazos De cuatro en tres De tres en cuatro Cuándo acabar  que resisto どれだけの血が滴ればいいのか 私たちの頭は怒りで爆発しそうだ 4から3 3から4 いつまで君の喪失に耐え続けるのか 私たちの頭は破裂寸前だ 4から3 3から4 いつまで耐え続けるのか ──クアトロ・ミニマル〈La cola de dragon〉の歌詞(作詞:Juan Pablo Villa)
   クアトロ・ミニマルの新曲〈La cola de dragon〉は、2014年9月26日にメキシコのゲレロ州イグアラで43人の学生が行方不明になったきり戻ってこない事件を扱った曲だ。  その学生たちの失踪から半年が経過したが、事件はいまだに解決していない。メキシコ連邦警察は「犯罪組織の証言で学生はすべて殺害されたとされているが、遺体がどこにあるのかは、いまだにわからない」と主張する。もちろんメキシコの民衆はその結果に納得していない。さらに、2015年2月5日に身元不明の60遺体が、同州のリゾート地アカプルコの閉鎖された火葬場から見つかった。いったい何人の命が奪われ続けなければならないのか?   OLYMPUS DIGITAL CAMERA ▶2014年メキシコシティ中心部で行われた、43学生失踪事件早期解決を訴えるデモ(撮影 長屋美保)    そんな殺伐とした状況のなか、貧乏フリーライターの私は、あいかわらず、どうやって生きのびるかを日々考えながらも、タコスを喰らい、仲間と酒を飲み、バスや地下鉄運賃を節約するために歩き、そして、もちろんデモへも行く。  メキシコのデモでは、派手で趣向を凝らしたプラカードや、巨大なハリボテ人形の行進、楽器演奏、フラフープで踊る人たち、ゾンビメイクをした人たち、白い花を持った人たちなど、みな思い思いのかたちで抗議をする。そこにデモのスローガンをプリントしたTシャツや旗、ジュースやホットドッグ、タコスの売り子が混じり、デモ隊の脇を縫うようにして歩く。それは、世界じゅうのニュースで報道されている「メキシコのデモ隊が暴徒化」というのとは無縁の平和な光景だ。行商人の姿が多いので、縁日みたいに見えるが、誰もそれを不謹慎だとはいわない。抗議も商売も生きるために必要なこと。むしろ行商人たちは、すべてのデモのスケジュールを把握し、メキシコでもっとも社会運動に近く、国の動きを把握しているように見える。デモや抗議活動で、祭りのように騒ぐのがみっともないという批判をきくこともあるが、世間にアピールすることに意義があるのだから、いっそ祭りに見えるほど大騒ぎするのがよい。    さて、クアトロ・ミニマルに話を戻そう。私にとって、クアトロ・ミニマルと過ごした数日間は、学生の失踪をきっかけに、民衆の政府への不満が爆発し、抗議活動がもっとも激化していたときで、メキシコの闇と対峙する日々でもあった。そんな渦中にツアーをおこなったクアトロ・ミニマルのマンゴーさんとチャンさん、そして、スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールドのプロデューサーのニコラさんへインタビューをおこなった(取材は2014年10月末にメキシコ・シティにて)。     メキシコは、音楽やアートに力のある国   Cuatro Minimal - LR-19   今回のツアーで、初めてメキシコを訪れたお三方だが、メキシコという場所をどのように見たのだろう?   [チャン]  思ったより文化的に豊かで、伝統をゆるやかに守る気風を感じました。文化に対して、とても可能性がある場所で、刺激的だった。あと、トルティージャがおいしいですね。   [ニコラ]  私はフランス人なので、ヨーロッパの視線からメキシコを見て、混血の文化の形成が目の前にあることが新鮮でした。音楽やアートに力のある国という印象を得ました。   [マンゴー]  メキシコは混血文化の影響なのか、意外にいろんな種類の音楽が広く聴かれている印象があります。前衛的要素が多い僕らの音楽が、メキシコのお客さんに受けいれてもらえたのがうれしかったです。     クアトロ・ミニマルのもう二人のメンバー、フェルナンドとフアン・パブロは、メキシコの前衛音楽シーンで活躍するユニークな存在だ。彼らと音楽をやることに関してはどう捉えているのだろうか?   [マンゴー]  いつも即興をやっているだけあって、言葉や形式ではなく、音楽をとおしてコミュニケーションをとれる人たちです。ただ、柔軟なぶん、今回録音までたどり着けるのか、ツアーのコンサート演奏に生かせるのか心配だったので、曲構成をきちんと組んでから即興で演奏したらどうかと提案しました。夜中まで議論したこともありましたが、良い経験になりました。   [チャン]  久しぶりにフアン・パブロとフェルナンドと一緒に演奏して、3年のブランクがあったあいだにそれそれが成長したなと感じました。時を経て、私たちが、本当のバンドになれたことに幸せを感じます。広い視野で物事を捉えられるのが、このバンドの一番の強さです。  以前日本と韓国で演奏したときは、クアトロ・ミニマルのことを実験的なバンドと受け取る人のほうが多かったと思うんです。でも今回のツアーで、私たちはだいぶ変わった。伝統音楽色もあるうえに、とてもポップになったと思う。     「伝統音楽はおもしろいのに、つまらない演奏をするお前らが悪い」といいたい   メキシコで体験したクアトロ・ミニマルの音楽は、メンバーの出身地である韓国、メキシコ、日本の伝統楽器や伝承歌など、ルーツを感じさせる音を混合しながらも、ノイズや即興を交えた斬新なアレンジにより、豊かに広がっていた。懐かしいのに新しい音の世界だ。   [チャン]  韓国のほとんどの伝統音楽家が、ステージの上で「伝統音楽はおもしろいイメージがないけど、じつはおもしろいんですよ」と挨拶するのが大嫌いなんです。それは、伝統音楽がおもしろくないという悪い印象を人々へ刷り込んでしまうから。逆に、「伝統音楽はおもしろいのに、つまらない演奏をするお前らが悪い」といいたいですね。私の演奏するチャンゴとか、培った伝統的な要素から、おもしろいものを作りあげたいです。「あなたのやっているのは、伝統音楽ではない」と批判されることもありますが、やり方は人それぞれ自由であって、私は自分が表現したいものを追求していく。   [マンゴー]  チャンさんは、韓国伝統音楽界で、津軽三味線の高橋竹山のような存在になると思うんです。最初は伝統音楽界で異端と批判されるけれど、100年経ったら、これが新しいスタンダードといわれるような。     鹿児島出身のマンゴーさんは、2014年から本格的に、鹿児島発祥の弦楽器、ゴッタンをステージ演奏に取り入れるようになった。今回のメキシコ・ツアーでも、ゴッタンは大活躍していた。アフリカの親指ピアノ奏者という印象が強い彼が、ゴッタンに魅了されたのはなぜだろうか。   [マンゴー]  ゴッタンは、大工さんが家を建てたときの余りの木材で楽器を作り、棟上げのときに施主にプレゼントするものだったんです。これが三味線だったら、家元がいて決まった弾き方があるけれど、ゴッタンの場合は、流行歌でも演歌でも、自分の好きな歌の伴奏を弾くための楽器であり、自由なのがいいなあと思いました。大工さんが、祭りでも音を大きく出せるように、カラオケマイクを胴の中に突っ込んだゴッタンを独自開発していたりするんです。ゴッタンの表側は木の板なのでいろんな種類のピックアップを試しやすいし、エフェクターのノリも良い。親指ピアノの場合はキーに制約があり、曲によっては調律が難しいのですが、ゴッタンは音を合わせやすいので、今回のツアーでは、メインで使いました。マシンヘッドのペグに交換しているので、日本の弦楽器には見えないようで、メキシコや日本でも、「この楽器はなんだ?」と質問されましたね。日本では、アフリカの伝統楽器だと思っている人もいました。だから、よその国のひとたちが見た目で興味を持つように、あえて、三味線の糸巻きを接着剤で付けています(笑)。糸巻きを回してチューニングしているふりをするんです。     大きな権力から暴力を受けたとき、 アーティストは何をすればいいのか?   クアトロ・ミニマルの新曲〈La cola de dragon〉は、直訳すれば「龍のしっぽ」という意味だが、「曲がりくねった道」という意味もある。マンゴーさんとフェルナンドがふたりで曲作りしたものに、フアン・パブロが即興で詩をつけた。メキシコで行方不明になった学生たちに捧げられている。まさに、メキシコが複雑な道を歩む渦中で生まれた曲である。   [マンゴー]  学生の失踪事件をニュースで知っていたので、散歩するのにも警戒してたんですけど、実際には、東京の町と同じような感覚で歩けるので安心しました。でも、みな穏やかに暮らしているように見えるのに、なぜあんな事件が起きたんだろう。高級車を売っている店や、富裕層向けのスーパーがあったりするのに物乞いをしている人もいて、メキシコは格差が激しいということには気づきました。だから、そのシステムを作っている政権にも問題があって、国民の不満が爆発するのだろうと。   [チャン]  私は最近、国とは何かというのを考えるんです。メキシコへ来る前に韓国のチェジュ島の記念館へ行ったんですが、その島は最悪な事件があった悲しい歴史の場所です。国からの暴力で、島の5分の1の数の人びとが殺された。そのあとにメキシコの学生のニュースをきいて、何か共通するようなものを感じました。みな、大きな権力から暴力を受けたことを知っているが、それを表向きに知っているといえない。そんなときに、アーティストは何をすればいいのかと。アーティストというのは、何もしがらみがなく、自由にしゃべれる立場だと思うんです。「あれ、おかしいんじゃない?」ってことを世に提示しなきゃいけない。でも、いまの韓国の状況は本当にひどくて、大統領を批判したら逮捕される。わずか100年の歴史をふりかえっただけでも、カンボジア、天安門、世界の各地でいろいろな事件が起こっているのに、なぜ人類は学習できないのか。なぜ、悲劇が繰りかえされるのか。   [ニコラ]  アーティストもいち市民であると思うんです。社会と関わっているからには、政治と無関係とはいえない。表現する仕事なので、いろんなことを世に伝えることができる。私のやっているプロデューサーの仕事は、人々に議論の場や、考えるきっかけを与えるポジションであると思うんです。3.11直後、スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールドにウランの産地であるニジェールのアーティストが来たときに、原発は福島にとどまる問題ではないということを、その場にいるみんなで一緒に考える機会を得ました。でも、反原発のアーティストだけを集めて反原発コンサートにすることはしたくないんです。反原発でない人も来られるような環境で、自分の意見をいえて、ほかの人の意見もきけるような場を作るということが大切だと思います。ヨーロッパでは飲みや食事の席で自然に政治の話になり、熱く議論することもある。ところが、日本では、政治的な話はタブーな雰囲気があります。1960〜70年代にフランス政府がアルジェリア系の移民を虐殺していることからもわかるように、民主主義とは名前だけのものに陥りやすく、ひじょうに壊れやすいものである。だからこそ、より市民が参加できて、結びつける場所を作っていかないと。私たちのフェスティバルが、そういう場になるのが、夢なんです。   [マンゴー]  ステージ上で音楽を演奏することは、当然メディアとしての役割をもっている。歴史をさかのぼれば、文字がなかったときに、いろんなことを広めるのに音楽は有効だった。ステージ上で原発反対のスローガンを叫ばなかったとしても、メッセージを直接的に歌詞に入れるのではなく、それとなく音楽で表現して、観客の胸のなかをザワザワさせて、会場をあとにさせるようなことをしたい。河内音頭の新聞詠みなんかが、それにあたると思うんだけど、「金持ちはいいね〜」なんて、軽い調子で歌っていながらも、風刺がきいていて、普遍性があり、いつの時代に聴いても色褪せない。  アフリカは本当にシリアスだから、飲み屋でも政治的な話題はやめろといわれるんだけど、日本も、それに近い状況になっているんじゃないか。無関心を装った圧力を感じるんですよね。このままでいいのかという姿勢を、言葉で表さなくてもいいと思うんです。音で表現できることがあって、逆に直球の言葉よりも、深く突くことがある。   [チャン]  原発反対という意見を聞きたくない人とこそ、話さなきゃいけないんですよ。意見に相違があるという理由でシャットアウトするのではなく。  私は音楽によって、人々が余裕をもてる世の中へと変えていきたいですね。根本的な問題はこの社会に余裕がないことだと思うんです。文化とは人々に少しでも考える時間を、余裕を与えるものと考えます。そんな音楽を作るためにも、多くの人たちに会いたいし、私の一歩一歩、一日一日を大切にすることが重要です。フリー・フロム・パワー(自由は力から)が私の信念です。    メキシコの事件を通して、それぞれの国や人々に対する想いを巡らせることになったインタビュー。それは、「じゃあ、あんたは何ができるんだい?」と、私の心にズシリと問いかけてくるものだった。  せめて、私ができることといえば、この彼らの真摯なメッセージが詰まったインタビューを読んでもらうために、書いて伝え続けることだ。    最後に、フェルナンドの言葉をもって、このレポートを締めくくりたい。   [フェルナンド]  生まれ育った場所は違っても、人間同士わかり合えると信じている。メキシコは現在ひじょうに厳しい状況にあるけれど、それでも、ここに暮らす人々は、どこの世界にもいる人間であることにはかわりない。泣いたり、笑ったり、楽しんだりしすることや、音楽についてもそうだ。音楽は僕たちの思いを伝えてくれるものであり、スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールドは、もっとも根源的なものを共有できる場所だ。僕たちはそこから、クアトロ・ミニマルを結成できたことを、とても幸運に感じるし、とても強い絆を感じる。すぐに日本で公演できたらいいな(了)     【追記】 そして、嬉しい知らせが入った。なんと、クアトロ・ミニマルの、今年の『スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド』への出演や、日本と韓国へのツアーが決定したのだ。しかも、メキシコで録音していたアルバムが、今年6月半ばに発売される。彼らのミニマルなのにでっかい世界を、ぜひ多くのひとたちに共有してもらいたい。   8月5日~20日 富山県南砺市 「スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド」 レジデンス 8月16日 沖縄県那覇(※調整中) 8月18日 名古屋得三 8月21~23日 富山県南砺市 「スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド」 (www.sukiyakifes.jp)  8月27日 スキヤキ・トーキョー(※開催場所調整中) 8月28日~30日 韓国ソウル SEE NOW WE フェスティバル   https://www.youtube.com/watch?v=NccXWFQGWXo&feature=youtu.be