アルゼンチン・モダン・フォルクローレへの入り口

ハーモニカ奏者ジョー・パワーズとピアニスト青木菜穂子がCD『Jacaranda en flor』をリリースしました。日本ではあまり知られていない「アルゼンチン・モダン・フォルクローレ」とよばれる音楽ジャンルに影響を受けた作品です。制作にかかわったBishop Recordsの近藤秀秋さんに「アルゼンチン・モダン・フォルクローレとは何か」について、書き下ろしてもらいました(全2回)。

PROFILE

近藤秀秋

ギター奏者、音楽ディレクター、録音エンジニア、ビショップレコーズ主宰、即興音楽アンサンブル「Experimental improvisers’ association of Japan」リーダーなど。主な作品としてCD『アジール』(PSF Records, PSFD-210)など、近日中に書籍『音楽の原理』(アルテスパブリッシング)刊行予定。

モダン・フォルクローレとは?

 ハーモニカ奏者ジョー・パワーズとピアニスト青木菜穂子のデュオCD『Jacaranda en flor』(Bishop Records, EXAC012)の制作にかかわらせていただきました。モダン・タンゴとアルゼンチン・モダン・フォルクローレの双方を匂わせる作品なのですが、告知の段階でひとつの懸念が生じました。そもそも「モダン・フォルクローレ」は、どの程度日本に浸透しているのか。クラシック・ピアニスト、ジャズ・ミュージシャン、音楽誌編集者、ピアノ調律師……事あるごとに、音楽に深くかかわる知人にきいてみたのですが、知る人はほとんどいませんでした。ラテン・アメリカ音楽を聴く人なら知っているが、聴かない人にはあまり知られていない音楽。そこで、まだモダン・フォルクローレというものを聴いたことがないという方向けのガイド記事を書かせていただこうと思った次第です。


 ラテン・アメリカ。スペイン入植以降のラテン・アメリカの歴史は、グローバリゼーションの震源地との闘いの歴史です。植民地主義の時代に風下に立ったラテン・アメリカは、新植民地主義以降も変わらないこの構造に苦しみます。皮肉にもアルゼンチンの文化的アイデンティティのひとつはこの辺りにあるようで、日亜を往復する青木は、今回のCD制作にあたっておこなったインタヴューのなかで次のような発言をしています。


「移民という歴史が関係あるのかもしれませんが、向こうの人と話していると、自分の祖先とか、ルーツという話によくなります。またそれをすごく大事にしている」

 中南米の民族地図は、歴史差によって地域差を生み出しています。フォルクローレの残る地域でいうと、ペルーはよりインディオ色が強く、アルゼンチンは欧州色が目立つ。とくに首都ブエノスアイレスはヨーロッパからの移民を大量に受け入れたために移民白人が多く、そのほかの地は民族混交の度合いが増す。ブエノスはタンゴ、そのほかの地域はフォルクローレという状況は、こうして生まれるわけです。


 ラテン・アメリカでは、文化背景が音楽に強く影響します。たとえば、ラテン・アメリカのクラシック音楽。南米のクラシック音楽には、ヨーロッパ音楽の模倣をひたすら続けていた時代がありますが、ある地点を境に、「自分とは何か」を意識したような民族主義的傾向が増すことになります。アルゼンチンではヒナステラという作曲家が有名で、CD『Panambi, Estancia』(CONIFER CLASSICS, 75605 51336 2)収録の2曲のバレエ音楽は、ヒナステラの作品群のなかでそうとうに民族色の強い作品です。〈エスタンシア〉とはラテン・アメリカの大規模農園のことで、この地の近現代史を象徴する言葉でもあります。これは上記の文化的あらわれが意識的に音楽に反映された例。そして、在野の音楽では得てしてこれが無意識的にあらわれます。タンゴ奏者当人がタンゴを「移民の悲しみ」と表現することがあるのは、アルゼンチンにおける音楽の捉え方が間接的にあらわれた例といえます。ヨーロッパではなく、自分自身のアイデンティティ。移民社会ブエノスの民族感情の一例がこういうものだとして、では周縁地域のそれはどのようなものなのでしょうか。

[第2回に続く]

アルゼンチン・モダン・フォルクローレを紹介する

 フォルクローレ。多くの例外をふくみますが、単純化していうと、中南米のうちでもクリオーリョとインディオの接触のあった社会の民俗音楽は「フォルクローレ」と呼ばれ、ほかの色の強い社会の生み出した音楽は、たとえそれが民俗音楽であっても「フォルクローレ」と呼ばれることは少ないです。フォルクローレというと、日本では〈コンドルは飛んでいく〉だと思うのですが、あれはペルー/ボリビア方面のインディオ色の強く残った地域のフォルクローレ。いっぽう、アルゼンチン方面のフォルクローレはスペイン色が強く、たとえばアタウァルパ・ユパンキやオラシオ・グアラニといった亜フォルクローレのレジェンドに共通するのはスペインから持ち込まれたギターで、ケーナやサンポーニャといったインディオ系の楽器は使用されません。簡単にいうと、きわめて私的、内省的、静謐……こうした印象は、牧場地帯のノスタルジーのようなもので、そこに何らかのアイデンティティを見ているのかもしれません。


 モダン化。モダン・フォルクローレというのはアルゼンチン以外にも広がっていて、国ごとに区別されることもあります。アルゼンチンのモダン・フォルクローレのサウンドには幅があります。それこそクリスティーナとウーゴと同一線上にあるような歌謡音楽もありますし、ユパンキのようなギター・インスト、民族主義的な在野の地域芸術音楽とでも呼びたくなるようなものもあります。共通項は何らかの点でさきにあげたような「フォルクローレ」的なものにアクセスしている点で、モダナイズは技法部分に目立ちます。


aguirre

 そのサウンドの実例として、3つの名前をあげておきたいと思います。筆頭は、ピアノストのカルロス・アギーレ Carlos Aguirre 。彼のグループの初録音『Crema』(Rip Curl, RCIP-144)は、フォルクローレ、モダン・ジャズ、ブラジル音楽などをクロスオーバーしながら内省的なサウンドを響かせています。モダン・フォルクローレの名盤として名高いですが、アルバム一枚一枚に手書きの水彩画が添えられるなど(これ自体が、大量生産大量消費の資本主義に反しようというやり方にも見えます)、ひじょうに手のかかるものとなっているためか、現在入手困難。ほかでは彼のピアノ独奏『CAMINOS』(shagrada medra, shcd-023)が推薦で、ジャズなどとの交錯を音に聴くことができます。


acaseca

 次に、アカ・セカ・トリオ Aca Seca Trio 。ギター/ヴォーカル、ピアノ、パーカッションによるこのトリオの作り出す音楽は、さまざまな音楽が交錯しており、技法としてはかなり硬派なコンテンポラリー、しかしサウンドは静謐であり穏やか。私はこのサウンドに最初に触れたさいに、軽いショックを覚えました。好作が多いですが、デビュー作『Aca Seca Trio』(IMAGINARY SOUTH RECORDS, ISCD011)の時点ですでに高い完成度に達しています。


quique

 そして、ギタリストのキケ・シネシ Quique Sinesi 。フォルクローレの最重要楽器はギターだと思いますが、日本やアメリカのフォーク・ギターと違い、クラシック・ギターを基礎に置くものが多いです。シネシはアルゼンチンの在野の音楽のギター・シーンを代表するギタリストで、技法はクラシックのなかでもコンテンポラリーの範疇に入ると思います。そういう意味では、アサド兄弟など、ややブラジル寄りのサウンドとの共通項を感じます。音はやはり穏やかで、しかし緻密。『7 sueños / Familia』(Rip Curl, RCIP-0212)は、CD2枚に渡ってそのギター・サウンドを聴くことができます。私も楽譜をもっており、「フォルクローレ」というよりも、「ギター界」という括りで知られた存在かもしれません。


 アルゼンチン・モダン・フォルクローレには、もっとヌエバ・カンシオンに近い弾き語り的なものもあるのですが、サウンドとしては上記あたりが入門に適した好盤だと思います。ヨーロッパ音楽と自文化を衝突させることによるモダン化、しかし当事者レベルにおいてはそれが自覚的であるとはかぎらず、その音楽表現の目指すものはもっと私的な個人的感情のようなもの。表現技法は、従来のアルゼンチン・フォルクローレのリズムや和声が外部音楽を取り込んでモダナイズされていて技法として多彩、いっぽうの表現傾向は汎アルゼンチン的とでもいいたくなるような共通性を感じさせます。タンゴとの共通項は、心情や感情の表現を音楽の中心においているように見える点で、つまりこれが「アルゼンチン」なるものの表象形式なのかもしれません。言葉にすると陳腐に聴こえてしまうかもしれませんが、これが独特の詩情をたたえているのです。


 以上、きわめて主観的なアルゼンチン・モダン・フォルクローレ・ガイドでした。新しい音楽を聴きはじめるときというのは、新しい価値に出会う最良の瞬間のひとつかと思うのですが、少しでもその助けになりましたら。[了]