“ぐうたら”を引き受ける──遠藤周作の〈モンキー・ドライバー〉
阿川 出版200冊、おめでとうございます。でも、200冊のお祝いをしようと思ったら、もう201冊目[『ニャンコトリロジー』ハモニカブックス/河出書房新社]が出来てるんですね。
和田 そうなんです。
阿川 そもそも装丁のお仕事はいつごろから?
和田 最初に装丁したのは1961年で、『ジャズをたのしむ本』[寺山修司・湯川れい子編、久保書店]。装丁の仕事が増えるきっかけになったのは、遠藤周作『ぐうたら人間学』(講談社、1972)です。これ、ベストセラーになったんです。もちろん表紙デザインのおかげと言っているのではなくて(笑)、本の中身がおもしろかったんですね。
阿川 そのときは遠藤さんと面識はおありだったんですか?
和田 会ったこともなかったし、仕事をするのもこれが最初。遠藤さんの本、これが僕にとっては1冊目なんですよ。

阿川 1968年にフリーランスになられてから、絵本をいくつかお描きになって、72年に遠藤さんの『ぐうたら人間学』の装丁をされたんですね。出版社から依頼がきたんですか?
和田 そうですね。講談社のほうからだったかな。
阿川 でも、遠藤周作をこういうふうにコミカルに描くというのは、当時はなかったんじゃないですか?
和田 表紙で冬眠してるからね、遠藤さんが。
阿川 書名の文字までぐうたらな感じが出てる。
和田 遠藤さんは「狐狸庵(こりあん)」と自称してましたね。狐狸庵というのは、きつね(狐)とたぬき(狸)の庵。
阿川 「いおり」ですよね。
和田 うん、だから、そういう雰囲気の遠藤さんを描こうと思ったわけ。
阿川 あ、そうか、それできつねとたぬきと遠藤さんが……
和田 そう、それぞれ冬眠してる絵になっちゃったから、裏表紙のほうはへびが冬眠している絵を描いたんです。
阿川 なんでへびなんですか?
和田 冬眠しやすいから。
阿川 (笑)和田さんがこの絵を遠藤さんにお見せになった?
和田 いや、遠藤さんに見せたのは講談社の人だったと思うよ。
阿川 感想は?
和田 感想とかはとくになかったですね。
阿川 伝言も来ないものなんですか?
和田 そう。
阿川 ちょっとショボン⋯?
和田 でも、そのあとの「ぐうたら」シリーズは、ぜんぶ僕のところに依頼がきたからね。
阿川 それは遠藤さんのご指名で?
和田 著者本人が気に入ってくれたのかもしれませんね。

阿川 その後、お会いになったことはないんですか?
和田 えーと、一度くらいあります。
阿川 そんなもんなんですか。
和田 そんなもんです。飲みに行こうと言われて銀座のどこかの飲み屋に行きました。まだカラオケなんてない時代だけど、遠藤さんが歌ってね。
阿川 え?(笑)
和田 ギターの人がいたのかな。
阿川 生演奏の?
和田 生演奏の人がひとりいて、そこのホステスが「先生もひとつお歌いになったら」ってすすめたら前のほうに出ていって。
阿川 遠藤さんが?
和田 そう。「それでは〈モンキー・ドライバー〉をやります」といって、「えっさ、えっさ、えっさほいさっさ、お猿のかごやだほいさっさ」って歌った。それで変な人だなと。
阿川 ハハハ(笑)
和田 「モンキー・ドライバー」っていうからさ、スタンダード・ナンバーでそういう歌があるのかと思ったんですよ。
阿川 ジャズにあったかな? みたいな(笑)。じゃあ、それから遠藤さんの装丁はしばらく続いたんですね。
和田 そうそう、ずうっと。とにかく、タイトルに「ぐうたら」ってつけば全部僕のところにきちゃったんで。
阿川 もう自動的に(笑)
和田 ほかの人を断ったってこっちにきちゃう。
阿川 この本が売れたことによって、装丁の仕事が増えていったんですか?
和田 そう、すごくきっかけになりましたね。
阿川 それにしても、遠藤さんにしたら、この装丁をきっかけにキャラクター・グッズができたようなものですよね。
和田 赤坂かどこかにある居酒屋がね、「狐狸庵」という名前にしたんですよ。それで、別の本の装丁の絵に狐と狸が肩組んでるのがあるんだけど、その居酒屋が、「あの絵がうちの屋号と同じだから、あれを看板にしていいですか?」っていうから、「まあ、いいよ」ってOKしてね。だから、僕の描いた画が看板になってる。
阿川 東京にあるんですか?
和田 東京の赤坂にね。昔の話だけどね。「お礼しますから」っていってたけど、でも結局なんにもこなかったね。
阿川 え〜!?
和田 そう。そこに飲みにいって、「この看板は俺が描いたんだ」って言えば、ただにしてくれたのかもしれないけれど、そういう度胸がなくてね、あの頃。
阿川 行らっしゃらなかったんですか?
和田 前を通っただけ。
阿川 通っただけ? いやもう、和田さん、遠慮深すぎる!
和田 看板に使われてるな、っていうのは確認しましたけど。
阿川 確認して帰っちゃったのね(笑)
和田 でもなかなかね、ひとりだといきなり知らない居酒屋って入りにくいじゃないですか。
阿川 まあ、そうですね。
和田 まだ若かったし。
阿川 和田さんはいつもお店の前で「高そうだな、ここ」とかってやめたりして、見知らぬ店にずかずか入って行くほうではないですよね。
和田 ま、そうですね。
阿川 慣れたところのほうが。
和田 そうそう。
私家版絵本を作っていたころ──北杜夫、谷川俊太郎のこと

阿川 『ぐうたら人間学』が出た1972年って、昭和でいうと47年でしょう? 私はちょうど高校3年ぐらいで、そのあと大学は慶応に入ったんですね、ギリギリの補欠ですけど。それで遠藤さんも慶応の方で。
和田 ああ、そうだ。
阿川 うちは兄も弟も慶応なんです。たまたま兄弟が3人とも慶応に入るっていう結果になったときに、遠藤さんが父に、「阿川、お前のところもようやくハイソサエティの仲間入りやな!」って(笑)。その頃、私は和田さんにお会いする機会はなかったけど、そちらでは〈モンキー・ドライバー〉を歌い、こちらでは家にきて「ハイソサエティやなぁ」だったってことですね。
和田 遠藤さんは阿川弘之[阿川佐和子さんの父。小説家。1920- ]先生とも仲良しで、いっぽうでは北杜夫さんとも仲良し。北杜夫[小説家。1927-2011]さんが「どくとるマンボウ」と自称されてた頃に、ぐうたらとマンボウの対談というのがときどきあって、そういうときの仕事は僕が一手に引き受けてた。

阿川 じゃ、北さんの装丁も?
和田 北さんは、新潮文庫の『どくとるマンボウ昆虫記』にはじまって、けっこう何冊もやりました。それから、僕は絵本がつくりたくて、自費出版で私家版のものは何冊もつくったんだけど、その頃に北さんが『みつばち ぴい』[『別冊キンダーブック 物語絵本』、1961年秋号初出]っていう童話を書いたんです。北さんって、もともと昆虫の好きな人だったからね。そのミツバチが活躍する童話で、それに色付きの挿絵というか絵本をつくったのが、僕の色付き絵本の1作目かな。
阿川 そうだったんですか?
和田 うん。
阿川 北さんが最初だったんだ。
和田 色付きは北さんが最初。
阿川 色のついてない絵本はそれ以前に?
和田 その前に谷川俊太郎[詩人、1931-]さんのものがあるんですけどね。
阿川 はいはい。私は自分の記憶にあるかぎりでは、和田さんの本で、私が人生でいちばん最初に「ああ、カワイイ〜」って思ったのは、谷川さんとの『けんはへっちゃら』[あかね書房、1965]です。
和田 ああ、そうなんだ。
阿川 谷川さんのところに生まれたけんちゃんをモデルにして、少年が活躍する物語だったから、「いいなあ、うちの父ちゃん、こんなセンスないなあ」って思いながら(笑)。その次が「しのは」……。
和田 『しのはきょろきょろ』[あかね書房、1969]?
阿川 だったんです。しのちゃんっていう妹がいてね。
和田 『けんはへっちゃら』は、僕の頭の中にある男の子を描いたんですね。
阿川 そうなんですか。
和田 で、『しのはきょろきょろ』は、女の子がひとりでデパートに行って、そのなかをうろうろする話ですね。
阿川 そう。
和田 その頃、そのくらいの歳の女の子というのが、僕の頭の中にはいなかったんですね。そしたら、立木義浩[写真家、1937-]のところに、ちょうどそのくらいの子どもがいることがわかったんです。それで、彼のところへ遊びにいって、「ちょっと、たっちゃん、子どもの写真、カメラマンだったらいっぱい撮ってるだろ?」っていって借りてね。それでこれを描いたわけです。
阿川 じゃあ、しのちゃんには会ってないんですね。
和田 しのちゃんには会ってないです。けんちゃんにも会ってないですよ。
阿川 そうなんですね。こうやって60年代に絵本を何冊か出されている。
和田 そうです。
阿川 私の大好きな『ワッハワッハハイのぼうけん』[谷川俊太郎著、講談社、1971]も、この頃に出たんですよね。
和田 うん。
阿川 少年の顔が変わらないんですよね。
和田 僕が描く顔が? そうですね、僕はあまり進歩してないんだ。
阿川 一貫してるということです!(笑)
読んでから描くか、読まずに描くか──星新一さんのこと

阿川 私の本のときも、和田さんはいつもちゃんと原稿を読んでくださるんですよね。しかも、「あそこがおもしろかったよ」とか、「これは違うよ」とか。
和田 「違うよ」なんて、えらそうに言わないでしょ?
阿川 あ、それは誤植があるとか、そういうの。
和田 誤植は阿川さんのせいじゃないものね。
阿川 とにかく、ちゃんと読んでくださる。
和田 ちゃんと読みますよ、そりゃ。
阿川 どなたのもちゃんとぜんぶ読んで?
和田 読みますね。
阿川 それからイメージをふくらませる?
和田 うん、読んだほうが「どういう絵にしようか」とか、ちょっとしたことでも思いつくからね、やっぱり読んだほうがいい。小説なんかだとさ、思いがけないちょっとした1、2行の文章のなかにヒントが入っていたりするし。
阿川 全体の物語の雰囲気とはまた別のディテールのなかに?
和田 そうそう、そういうちょこっとしたところのほうが、「ここを中心になにか描けるかな?」と思ったりするの。だから読むのは役に立ちますよ、装丁するうえでは。
阿川 星新一さんとのお付き合いも深いですよね。
和田 うん、そうですね。
阿川 やっぱり、星さんの物語と和田さんの絵との組合せは切っても切れないですね。
和田 うん、まあね……それほどのものかどうかは別として、星さんが得意とするショートショートというのは、ものすごく短いんだけど、ちゃんとしたストーリーがあって、最後のどんでん返しや意外なオチがあるでしょ。僕は、星さんと仕事をはじめるよりはるか前から星さんのファンだったんですね。ショートショートのファンだった。それで僕が私家版の絵本をつくりはじめたときに、星さんに僕の絵本のためにショートショートを書いてほしいと思って、それでお願いしました。
阿川 直接に和田さんから?
和田 あいだに今江祥智[児童文学作家、1932-]さんが入ってくれて。
阿川 ああ、今江祥智さん。
和田 今江さんの挿絵の仕事はずいぶんしてたから、それで、彼との世間話のなかで、「自分の絵本の原作を星さんに頼めたらいいな」なんて言ってたんです。
阿川 はい。
和田 そうしたらあるとき……その頃、僕はライトパブリシティという会社に勤めてたんだけど、会社で電話に出たら、「星新一ですけど」って電話があったんでビックリして。
阿川 わあ〜

和田 「なにか僕に頼みたいことがあるんですって?」「そうなんです」って答えたら、「家にいらっしゃい」って。すごくていねいに、電車は何線に乗って、何駅で降りて、降りたらこうだって道順を教えてくれました。それでたずねていって、「じつは僕の絵本のために物語を1編書いてほしいんです」って頼んだんですよ。そうしたら、それから10日もしないうちにわりとぶ厚い封筒が届いた。
阿川 10日もしないうちに?
和田 うん。
阿川 それが『はなとひみつ』?[私家版、2009年にフレーベル館から再刊]
和田 そう。それでこの本ができ上がったときに、「あの、原稿料は払えないので、代わりに本で」といって持って行ったんです。
阿川 星さんにはぜんぜん払ってないんですか!?
和田 原稿料は払ってない。とにかく本を置いて帰ってきた。
阿川 これは何部刷ったんでしょう?
和田 そこに何部って書いてある?
阿川 あ、限定版400部。書いてありました。
和田 それくらいだね。
阿川 売ったりは?
和田 しましたよ。
阿川 あ、定価が350円って書いてあった。
和田 気に入ってくれた友だちが、「知り合いに売ってあげるから20部渡しなよ」って売ってくれたりしました。
阿川 やさしい。
和田 そんな感じで、ぜんぶで7冊だしたのかな。
阿川 それが『私家版絵本ボックス』[復刊ドットコム、2011]になったんですね。
和田 そうそう。当時、これをやってておもしろかったのは、どういうわけか、採り上げてくれる新聞があったんだな。
阿川 おお。
和田 ちっちゃいコラムに、アマチュアの絵本作家がこういう私家版をつくっているって紹介されたの。それを読んだ一般の読者から僕のところに手紙がきて。
阿川 手に入りませんかって?
和田 そう、売ってください、って。それで「現金書留を送ってくれれば、こちらから送ります」って返事を書いてね。そういうのがくると、いちいちやってたんですよ。
阿川 なんかいかにも私家版の売り方ですね。カワイイ〜。
和田 そういうこと、自分でするのはめんどくさいんだけど、会社にアシスタントがいるんだけど、同じ社員だから気安く頼めないからね(笑)。だから、ひとりで封筒の宛名からなにから全部書いて。
阿川 そうかあ、会社の設備使ってやってるって噂になったらまずいですもんね。でも、そういうのは社内ではどういうふうに評価されたんですか?
和田 会社ではね、とくに会社の上のほうの人たちにはわざと見せなかった。
阿川 見つからないように。
和田 うん。
阿川 こっそり。
和田 だって会社の勤務時間中にこんなの描いてるんだから(笑)。
装丁のつくり方──オチは絶対描いちゃいけない

阿川 装丁の場合は、仕事がきた時点で、著者と物語があるわけですよね。たとえば、星新一さんのショートショートって、けっこう怖いものとかおどろおどろしいものも、たまにありますよね。でも和田さんの装丁があることで、なんだか楽しい世界がありそうな気がして惹きつけられるっていう面もあると思うんです。和田さんとしては、たとえば星さんのおどろおどろしいものを読んだときに、「これはおどろおどろしくしよう」とは思わないんですか?
和田 うん、ないですね。でもおばけがでてくるショートショートであれば、おばけはとうぜん描きたくなるんだよね。おばけはおどろおどろしいから描くのはやめるとか、そういうふうにはならない。ただしね、星さんの場合、最後にオチがあって、そのオチがおもしろいんだけど、そこは絶対描いちゃいけない。
阿川 ほおほお。
和田 ところが、たいていのイラストレーターは……。
阿川 和田さん以外の!?(笑)
和田 そのどんでん返しのところを絵にしたいんですよ。そこを絵にすれば、おもしろくなるから。たとえば、宇宙船に乗ってよその星に行こうとしている地球人の2人が対話しているとするじゃない? それで目的地に着いたところで、ひとりがヘルメットを取ると、それがその星の人だった……っていうような話があるとする。
阿川 オチがね。
和田 そうすると、ふつうの地球人2人が並んでるのを描くよりは、ひとりがヘルメットを取ると、タコみたいなやつだったってところのほうが絵になるじゃないですか。だから、ほとんどのイラストレーターはそこを描いちゃう。
阿川 いちばんおいしいところですからね。
和田 そう、だけど読者は読む前に本をパラパラってめくることがあるでしょう? そうすると、活字よりも先に絵のほうが目に入るじゃない?
阿川 はい。
和田 すると、最後のほうにそんな絵が出てくるのがわかっちゃえば、読み進んでいるうちに、「あ、最後はさっきの絵みたいになるんだな」って……
阿川 予測がついちゃう。
和田 うん。だから、それは絶対避けようというふうに、僕はしてた。ところが、そうじゃないことをやるイラストレーターや挿絵画家のほうが多かったから、星さんはそれでさんざんいやな思いをしたんですね。せっかくのオチを絵がバラすわけだから。
阿川 和田さんに頼む前はそうだったんですか。
和田 そういうことが何度もあったんだって。それでそういうことをしない人に頼みたい、と。
阿川 それは、和田さんが星さんにそういうふうに言われたからやらなかったんじゃなくて?
和田 うん、それは僕としても、そういうことをしちゃいけないというのは、最初からわかってました。というのは、描きたくなってもやめようと思ったから。ちょっとブレーキが利くんです。結局、星さんがイラストレーターはとくにこの人に、って指名してくれたのは、僕と真鍋博さんの2人だけだった。

阿川 ふうん。たしかにオチに関しては書名やタイトルもおなじですよね。
和田 ああ、そうだね。書名でオチがわかっちゃうというのは、どうもね。
阿川 「最後はひとり」とかね(笑)。
和田 はは。
阿川 装丁には、デザインという面と、あと挿絵としての役割とあるわけだから、そのバランスは考えたりなさるんですか?
和田 そうですね。たとえば挿絵も装丁も自分でやる場合は、装丁は挿絵から使おうかどうしようかとか、装丁と挿絵は別ものだからぜんぜん違うふうにしようか? とか。挿絵はモノクロだから、装丁はちょっと凝った色にするか? とか。そういう、装丁と挿絵のバランスは考えないではないですね。
装丁のつくり方──丸谷才一さんの場合

阿川 丸谷才一[小説家、1925-2012]さんの装丁のときはまたぜんぜん違う考え方ですか?
和田 いや、丸谷さんだから特別に変えようっていうことはないけれども、丸谷さんの装丁をしてて僕がうれしかったのは、一冊ごとにかならずお手紙をいただくんです。
阿川 すみません。シュン。
和田 阿川さんが手紙をくれないとか、そんなこといってないから(笑)。
阿川 そう聞こえた。

和田 丸谷さんと直接しゃべることはそんなになかったからね。
阿川 それじゃあ、感想がいつもお手紙で届くわけですか?
和田 そうなんです。
阿川 どんなことが書かれてるんですか?
和田 それが名文でね。短いんだけど。はがき一枚のときもあるし、封書のときもあって、封書でも開けてみると丸谷さんって字がでっかい。すごいでっかいから……
阿川 分量としては少ないんですね。
和田 少ない。それで、要点が一行か二行でパッと書いてある。こういうところが気に入ったとか、こういうところは君の新機軸だねとか。僕としては気づかずにやってたんだけど、なるほどたしかに新機軸だと気づかされることがしばしばありましたね。
阿川 たとえば、『新々百人一首』[新潮社、1999]のこの模様、パターンっていうんですか? もったいないくらい豪華。丸谷さんの装丁の場合、すごくヴァラエティに富んでる気がします。
和田 そうかもしれませんね。写真をつかったり、カラーインクをグジュグジュにしたり。
阿川 そういうのは和田さんの作品の中では珍しいですよね。
和田 だって、その本は『いろんな色のインクで』[マガジンハウス、2005]っていうタイトルなんです。
阿川 素直にそのまま。
和田 まんまです。

阿川 でも、ちゃんと考えられたわけでしょ?
和田 このときにもらった丸谷さんの手紙には、「この表紙のいろいろな色が、自分の書くものの比喩になっているようにも見える」って。「あるときはこういう書き方をする、あるときはこういう書き方をする、そういうことを指摘されてるような気がする」って書いてあった。そんなふうに解釈してくれる。
阿川 和田さんもそういうおつもりで描かれた?
和田 ぜんぜん(笑)。僕はもっと単純に「いろんな色のインクで」ってタイトルだから、いろんな色のインク使っただけで(笑)。
(2014年10月28日 和田誠事務所にて/撮影:吉田宏子)