【新刊著者エッセイ】こわいこわいくりかえしのはなし ──天皇機関説事件80年に寄せて

「片山杜秀の本」第7弾となる、『大東亜共栄圏とTPP──ラジオ・カタヤマ【存亡篇】』をこの6月に完成された片山さんの著者エッセイです。同書の内容ともリンクした、政治の歴史を知りつくす著者ならではの、なんとも「こわい」予言(?)です。本人は「ばかばかしいおはなし」とのことですが、はてさてじっさいのところは……。ご興味をもたれた向きは本もぜひ!

片山杜秀
PROFILE

片山杜秀

慶應義塾大学法学部教授

かたやま・もりひで:1963年仙台生まれ。東京で育つ。慶應義塾大学大学院法学研究科後期博士課程単位取得退学。専攻は政治学。著書に『音盤考現学』『音盤博物誌』『クラシック迷宮図書館(正・続)』『線量計と機関銃』『現代政治と現代音楽』『大東亜共栄圏とTPP』(以上アルテスパブリッシング)、『国の死に方』(新潮新書)、『未完のファシズム』(新潮選書)、『近代日本の右翼思想』(講談社選書メチエ)、『ゴジラと日の丸』(文藝春秋)ほか。2008年、『音盤考現学』『音盤博物誌』により吉田秀和賞およびサントリー学芸賞を、2012年『未完のファシズム』により司馬遼太郎賞を受賞。慶應義塾大学法学部教授。


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片山杜秀『大東亜共栄圏とTPP──ラジオ・カタヤマ【存亡篇】』(小社刊)

 どんな歴史でも、くりかえすということはございませんが、似ているということはございます。今年2015年は戦後70年だそうで、では2015年はいつと似ているかと考えますと、80年前ではないでしょうか。戦争が終わる10年前。1935年。昭和10年でございます。

 その年に何が起きたか。天皇機関説事件です。天皇機関説という学説が袋叩きにあったんですね。これはつまり明治憲法の解釈の問題。1935年までは明治憲法の天皇解釈は機関説が天下公認の学説でした。天皇は憲法で定められた国家を構成する一機関ということでございます。万世一系の天皇が大日本帝国を統治して、天皇は神聖だから侵せないと、明治憲法には書いてございまして、今日の感覚で申せば神懸かっておるかもしれませんが、べつに宗教の経典ではございません。近代国家の憲法の条文として、法律として、そのように定められている。憲法が国家の一構成要素である天皇の属性を条文で決めている。天皇は憲法に書いてある条文以上でも以下でもない。憲法で意味づけられた国家の機関が天皇。これが天皇機関説でございましょう。

 憲法の条文を砕いていいますと、万世一系の天皇とはその血筋をずっと受け継いでいる人ということでございましょう。よその人がその血筋でもないのに、勝手に天皇となっては困る。今日から天皇になりますからと、勝手にその血筋と関係ない人に天皇になられても困る。万世一系でないといけない。天皇の位を騙る偽天皇が出てこないように、万世一系という断りは重要なんですね。

 そうやって唯一の血筋でつながる天皇が大日本帝国の統治者であると。統治者である天皇は日本国家として特別な存在ですから、仮にですよ、恐れ多いことでございますが、臣下の者を叱って殴り倒してしまったとしても、天皇陛下に刑法を適用して傷害罪で捕まえることはできない。あるいは税金をとるとか兵隊に行かせるとか、国民一般の義務からは解放される。その代わりに統治の仕事に専心していただく。そのような存在である天皇を国民が侮辱するのも、まことにけしからんということになる。そんなこんなを一切含めて、万世一系の天皇を侵してはならないわけなんですね。

 こんな具合に、万世一系とか神聖とか侵せないとかはみんな法律の合理的な言葉と解釈できる。宗教的・文学的なレトリックでは決してない。そういう法的な意味づけによって、天皇は憲法で規定されている。天皇だからといって、そこからはみだしてはいけない。天皇は機関なんでございます。憲法で定められた機関なんでございます。1935年までは、これが国家公認の学説で、たとえば高等文官試験──というのは国家公務員の上級職採用の試験ですけれども──そこでの憲法の問題で天皇のことが出題されますと、天皇機関説で答案を書かないと、間違いになったのでございます。

 ところが1935年を境に天皇の国家公認の解釈がかわりました。天皇機関説で答案を書くと点がもらえなくなりました。それどころか危険思想の持ち主にされてしまう。憲法そのものの条文は変わっておりません。今のところ日本国憲法もそうですが、大日本帝国憲法、通称明治憲法も、発布されてから日本国憲法に切り替わるまで一字一句も変更されたことはございませんでした。つまり天皇機関説がそうでなくなったのは解釈改憲でした。解釈の問題だけなんです。

 すると天皇機関説の代わりに天下公認となった憲法学説は何かというと、天皇は憲法を超越しているという説なんです。そういう解釈に急にかわりました。明治憲法は欽定憲法で、欽定というのは天皇自らが定めたとの意でございます。定めた者でも、定めた憲法が働きだせば、その内容に規定され束縛されるのが近代法治国家であれば当然です。しかし1935年からはそうでなくなりました。憲法を定めた天皇はつねに憲法の外側に存在する。もちろん憲法上に定められた天皇の規定に縛られないことはないのですが、憲法という法律ですからひとつのフィクションですけれども、そのフィクションのなかにだけいる制度や機関として100パーセント完結するものでは、天皇はないんだと。そこから片足出ているのが天皇。いや、頭を憲法の上に出して、はみだしているのが天皇。そういうイメージでないと、どうしても困る。そのように解釈が変わったということでございます。

 けれど、その憲法解釈は1935年の新説では決してありません。明治憲法成立当初からあったのです。天皇は憲法に囲い込まれているという説と、天皇は憲法に制約されきらないという説。はじめから2つありました。前者の説は有賀長雄(あるが・ながお)や一木喜徳郎(いちき・きとくろう)や美濃部達吉(みのべ・たつきち)が唱えて受け継がれてきた説で、後者の説は穂積八束(ほづみ・やつか)や上杉慎吉が主張してきた説です。大別するとそうなります。

 といっても、もちろんそれぞれ立派な学者ですから、独自のことをいっております。つまり、天皇が機関だとしても、主権を本人が強く行使して独裁的に振る舞える機関と解釈することもできるし、内閣や議会に実質は任せてうなずくだけの機関とも解釈できる。天皇の立ち位置が憲法からはみだしていて憲法上の定める一機関という枠組みに収まらないとしても、別に憲法の外から、憲法の枠内で働く内閣や議会や軍隊を見守って「よきにはからえ」とうなずいているだけでもよいわけだし、憲法とは関係なく天皇のやりたいことをやるから「みんなついてこい」とやってもよいことにもなる。つまり天皇が憲法の枠内にはまるかはみでるかの議論とは別次元で、天皇が我を張らずにおとなしくするのか、その反対かの議論はありうるし、現にあったのです。

 でも、1935年の天皇機関説事件のときに問題されたのは、天皇が個人的な意思でじっさいに好きなことをしていいのか、それともそれは好ましくないのか、という次元ではなくて、天皇が憲法上の機関にとどまる存在か、そうでないのか、というほうだったといってよいでしょう。そして機関にとどまるかとどまらないかという2つの解釈を、国家はずっと都合よく使い分けてきていた。そう申してよいでしょう。

 天皇は神聖である。神である。現人神である。憲法で決められるとか、そんな近代的常識の範囲内でイメージしきれると思ってもらっては困る。そっちを特別に強調したいときは穂積八束風の学説が前に出て参るのですが、そっちを強調したいときとはどういうときかと申すならば、いちばんストレートには戦争です。戦争が起こったとき。あるいは起こりそうになったとき。大日本帝国の軍隊は内閣総理大臣の指揮を受けません。天皇直属です。そのように明治憲法で定められている。だから大日本帝国の陸海軍は「皇軍」とよばれました。天皇のために戦って、天皇のために死ぬ。そのように教育される。その天皇が憲法で定められた一機関では死ぬ気合いがどうも入らないのではないか。国民も非常時に直面したとき、日本が一君万民の特別な国家だと信じられる度合いの強くなったほうがやる気が出るはずだ。危急存亡のときには天皇は憲法のごときに規定されるようなあまっちょろいものではないということにしたほうが、死ぬ気も威勢よくなるのです。

 逆に非常時でなければ、平時のさいには、天皇機関説のほうが平和でいい。天皇機関説がだめだというとことは、少なくとも天皇については憲法からはみだす。すなわち超法規的になる。そっちを強調すると、なんといいますか、近代法治国家的でなくなるのですね。西洋の近代国家の側からみても、日本は特殊なものの考え方の先行する国とみえることになる。憲法のしょっぱなに書いてある天皇のことも、じつは憲法からはみだしているとしたら、あとの条文も本当はどうでもいいんだみたいな気分になってきませんか。それは国民を法律で縛りたい国家としてはリスキーな選択です。けれど「天皇陛下万歳!」といって多くの国民に死んでもらわなくてはいけない場合が短中期的に強く想定されてくるときはスウィッチを切り換えたほうがやはりいい。それで国家公認の憲法学説が変わった。しかも政府が強権的にやったというよりも、議会でそういう声が出て、なんとなくその空気にみんなが従って政府も追認するかっこうでやった。これが天皇機関説事件というわけです。

 すると、1935年に、なぜそこまで大胆に憲法解釈を変更しなければならなかったのか。その4年前の1931年に満洲事変が起きていました。その後、上海事変などが続いて、中国との軋轢が深まっていたのです。日中のより大きな戦争がありうる。日本としては日露戦争以来の大きな戦争に直面する可能性を考えなくてはいけない。日露戦争が終わったのは1905年ですから、今からちょうど110年前。それから30年は天皇機関説で平和にやれないこともなかったけれど、ついに空気が変わってしまった。機関説にはいったん引導を渡す時期だったのです。

 それから何が起きたでしょうか。2年後の1937年に日中戦争が勃発しました。そもそも1931年の満洲事変は1929年のアメリカ発の世界大恐慌と関係があります。アメリカが主導したグローバリズム経済が変調をきたしたので日本はアジアにブロック経済圏を作って生き残ろうとした。今で申せばTPPと集団的安全保障をセットにしたようなものをアジアに作ろうとした。このイメージは最終的には大東亜共栄圏という6文字に集約されます。その流れを作るために1935年の「解釈改憲」がきわめて大きな節目になったというか、潮目の変わるのを演出しました。

 繰り返しますが、今年は2015年でしょう。1935年の天皇機関説事件の4年前の1931年に、この国に1945年の破局をもたらす引き金だとあとから考えればわかる満洲事変があったのだと思い出してください。2015年の4年前の2011年は東日本大震災でしたね。それがあとから考えれば国家の最終破局をもたらす引き金だとわかることになって、1935年の2年後からの日中戦争と同じことが2017年に起きて、2025年には1945年と同じ状態になる。2015年の解釈改憲とセットにされた「安保法制問題」が、1935年の一種の解釈改憲であった「天皇機関説事件」の変奏・反復だと思えば、1935年に問題とされた憲法の言葉は「天皇」であり、2015年に問題とされている言葉は「平和」であり、加えて歴史が繰り返しているという妄想に駆られると、そんな筋書きが思いつかれるのです。

 でも歴史は繰り返しませんよ。歴史とはそういうものではありません。最初にお断りしたとおりです。似たことはあるにしても、まさかそこまでは同じになりますまい。毎度ばかばかしいおはなしでした。そんじゃまた。