アイルランド/ケルト音楽を演奏する日本の若いミュージシャンたちの活躍が近年めざましいものがあります。O’jizo、O’phan、tricolor、あるいはそれらのメンバーでもある豊田耕三、内藤希花、大渕愛子、野口明生、中藤有花などなど、僕が実際にライヴで体験しただけでも、たしかな技術をもち伝統音楽を踏まえたフレッシュで魅力的な演奏で楽しませてくれるグループやミュージシャンたちが大勢いて、じつに頼もしいかぎり。そうした新しいシーンの核となるミュージシャンの一人がバウロン奏者のトシバウロンさんです。ケルト音楽の理解をさらに深めるべく、この夏カナダ東部へと旅立つトシバウロンさんに、現地から随時レポートを送ってもらうことにしました。行く先々で果たしてどんな出会いや発見が待っているのか、期待の募る新連載がスタートです![鈴木]
□この取材での写真撮影にはOLYMPUS PEN Lite E-PL6を用いています(カメラ提供:オリンパスイメージング株式会社)。
[連載記事一覧]
世界のケルト音楽を訪ねて〈アトランティック・カナダ編〉
世界のケルト音楽を訪ねて〈オーストラリア編〉
世界のケルト音楽を訪ねて〈スコットランド編〉
世界のケルト音楽を訪ねて〈ウェールズ編〉
世界のケルト音楽を訪ねて〈マン島編〉
世界のケルト音楽を訪ねてボーナストラック〈オーストラリア・バスキング事情 メルボルン編〉
トシバウロン
1978年、東京生まれ。日本では数少ないバウロン専門のプレーヤー。他の楽器と波長を合わせグルーヴを作り出すことに長けているが、首が曲がりメガネが弾け飛ぶほどダイナミックな動きには賛否両論がある。2000年冬アイルランド留学中にアイリッシュ音楽を始めパブセッションで研鑽を積む。現在東京にてJohn John Festivalを軸に多様な活動を展開中。2012年スペイン国際ケルト音楽フェスでHarmonica Creamsとして日本人初の優勝を果たす。葉加瀬太郎、鬼束ちひろのレコーディングにも参加。アイリッシュ・ミュージック専門イベント企画やCD販売レーベル「TOKYO IRISH COMPANY」を主宰している。http://www.t-bodhran.com/
第1回 カナダ東部のケルト文化圏へ出発!
第2回 葛藤するニューファンドランドの伝統音楽(1)
The WORLD GEOGRAPHYでは世界で4番目にカラフルな町として紹介されています。[/caption] [caption id="attachment_2232" align="alignnone" width="500"] signal hill
世界で最初に海を越えて無線の受信に成功した場所で、島一番の観光名所です。
http://en.wikipedia.org/wiki/Signal_Hill,_St._John's[/caption] 私は2014年8月15日からほぼ半月間セントジョンズに滞在し、地元のミュージシャン達と交流して話を聞く機会に恵まれました。そこから見えてきたのは、あくまでセントジョンズ視点ではありますが、ニューファンドランド音楽が抱える複雑な事情でした。 ニューファンドランド伝統音楽のあらまし 1497年ジョン・キャボー John Cabot に発見されて以来、この島にはアイルランド人やイングランド人が移住してきました。また西の地域にはアケイディアン Acadianとよばれるフランス系カナダ人が入植しており、人種的にはやや混交しています。1949年に、それまでイギリスの自治領だったのが、ラブラドールと共にカナダの州へ編入されました。歴史的、経済的、文化的、政治的にカナダとはかなり異なる背景があったため、編入の賛否を問う住民投票は賛成50.50%、反対49.50%とかなりの僅差となり、その影響からかいまだニューファンドランドは独立意識が高いようです。 島には非公式ながら19世紀から続く独特の三色旗があり、アイルランドの国旗と酷似しています。アイルランドの国旗では、緑はカトリック、オレンジはプロテスタント、白は平和を意味していますが、ニューファンドランドでは緑はアイリッシュ(=カトリック)、ピンクはイングリッシュ(=イングランドの象徴である薔薇から。暗にプロテスタントも意味している)で、白は平和です。 [caption id="attachment_2252" align="alignnone" width="500"] ニューファンドランドの三色旗(上)とアイルランドの国旗(下)[/caption] 現在ニューファンドランドの伝統音楽とされているのは、主に17世紀以降に入植したイングリッシュとアイリッシュがもたらしたダンス音楽および歌です。それ以前に住んでいた先住民の影響はありません。アイルランドのゲール語の伝承も途絶えてしまい、20世紀以降は英語の歌が伝統歌として歌い継がれています。また島の西海岸にはアケイディアンやケープブレトンの影響も色濃く残っています。 さて現地で盛んな音楽の傾向ですが、州都のセントジョンズでは人口の割合に比べて多国籍な音楽に出会うことができます。ロック、ポップ、ジャズ、これらは主に北米でも有数のPUBが密集するエリア、ジョージ・ストリート George Street でライブを聴くことができます。週末ともなればかなりの人がくりだします。そんな喧噪の中でいくつかのパブではトラディショナルな音楽の場、いわゆるセッションを目にすることができます。ここでは2014年の現在、主にアイリッシュ・ミュージックが演奏されています。 ニューファンドランドには古くから伝わる伝統音楽がありました。それはあくまでダンスの伴奏であり、音楽だけで演奏されるものではありませんでした。音楽=踊るものであり、歌=聴くものだったのです。セントジョンズの伝統音楽家クリスティーナ・スミス Christina Smith は、ここ30年の間に人々は音楽を聴くようになった、と言っています。 ニューファンドランドの音楽は踊ることが前提であるために、ビートとテンポが重要視されてきました。“Close to the floor(=床に近づけ!)”。これは「強いビートが人を踊らせる」という意味であり、この地の音楽の核を言い表しています。 ちなみに、同じくダンスの伴奏音楽であったアイリッシュ音楽との違いについて、Christinaはビートやリズムが違うと考えています。アイリッシュはより“Lilt(=スイング)”していて、ニューファンドランドのリズムはもっと“Straight(=ストレート)”であり、ビートはより均一で踊りに向いている、と。それは例えばニューファンドランド固有のダンス曲=singlesやdoubles、そしてtriplesと、アイルランドの曲=ポルカ polkasやスライド slides、そしてリール reelsと比べてみるとよく分かります(これはのちほどご説明します)。 さて、カナダに編入後から90年代に至る時期まで、この伝統音楽は田舎者がやるものと考えられ疎んじられてきました。カナダの他州の人々がニューファンドランドのアクセントや生活スタイルを嘲るのと同様に音楽も蔑まれ、ニューファンドランダーも自身の文化を避ける傾向が生まれました。こうして人々は伝統から遠ざかり、アメリカのカントリー・ミュージックなど外部の音楽に惹かれていきます。そんな中アイルランドの曲がラジオやCDやテレビ、そしてミュージシャンの行き来により盛んに演奏されるようになっていきます。 60年代にはアイリッシュ・アメリカンの音楽がラジオで頻繁に流れ、70年代にはフォーク・リバイバルが盛り上がるなかで復興したアイリッシュ・トラッドの音源が現地から直接届くようになります。90年代に入るとロバート・マーフィー Robert Murphy やシェイマス・クレイ Seamus Creagh らのミュージシャンがセントジョンズで初めてのアイリッシュ・セッションを行います。こうして州都の伝統音楽のアイリッシュ化は急速に進み、一方で本来の伝統音楽は依然顧みられないという状況が長く続きました。 市内のダウンタウンにあるパブやカフェでは、現在も週に4日ほどいわゆるアイリッシュ・セッションが開かれていて、多くは比較的ポピュラーなアイリッシュの曲が演奏されています。ニューファンドランド独自の曲も演奏されますが、これらはセントジョンズよりも主に地方の町で演奏されることが多いようです。 セントジョンズでの伝統音楽が抱える課題 セントジョンズのミュージシャンで、音楽家の家系でもある若きフルート・プレーヤー、ダニー・ミルズ Danny Mills。彼は日曜日の昼にパブ O’Reilly'sのセッションでホストを努めて2年になります。その中で悩みの一つは、ニューファンドランドらしさをセッションの場では伝えきれないことにあるようです。例えば、古くから伝わる伝統曲を演奏しても皆が知らないので、結局よく知られているアイリッシュの曲をやることが比較的多くなってしまうという現象が示しています。 [caption id="attachment_2233" align="alignnone" width="500"] O'Reilly’s でのセッション風景[/caption] セントジョンズで活動するパイパーで、地域の音楽フェスのオーガナイザーも努め、エンジニアもこなすロブ・ブラウン Rob Brown と妻のミシェル・ブラウン Michelle Brown は生粋のニュファンドランダーですが、生まれ育った環境では一切伝統曲が演奏されておらず、触れる機会もなく、大学に入ってからアイリッシュに出会い音楽を始めたと語っていました。そのため彼はニューファンドランドの伝統音楽から影響はほとんど受けず、主にアイルランド音楽を演奏して20年以上になるといいます。こうしたミュージシャンは意外と少なくはなさそうです。 州都でありながら伝統音楽が根付いていない状況は、一つにはセントジョンズ自体が巨大であるために地方の町から独立しているという点。加えて、カナダ編入以降の自国文化への蔑視とその反動による外部文化への憧憬により伝統から離れていったという経緯、そして都市の中でのダンス文化がそもそも少なく、音楽伴奏を覚える機会が少なかったこと、などがあげられます。(第3回に続く)